荒木しげるさん(あらき しげる、1949年2月9日-2012年4月14日)は、鹿児島県出水市出身の日本の俳優です。
ドラマー、歌手としても活躍していました。
本名は荒木生徳さん(あらき いくのり)。
昭和時代に俳優と音楽の世界にたくさんの素晴らしい功績を残した彼について、詳しく調べてみたいと思います。
経歴やこれまでの代表作を紹介していきましょう。
荒木しげる 経歴
荒木しげるさんは、旧芸名として荒木茂と言う名も使用していました。
デビュー作品、代表作品を紹介します。
渋谷でスカウト
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荒木しげるさんは、高校時代に渋谷でスカウトされ、男性ファッション誌のモデルとして最初芸能界の仲間入りをします。
芸能活動と並行して、大学へも進学していました。
1968年にカレッジフォークグループ「フォー・セインツ」のドラマーとして音楽業もされ始めます。
「希望」や「冬物語」などのヒット曲を生み出しました。
一度バンドを解散させましたが、2000年頃には音楽活動を再開しています。
その際、シングル曲「失恋日記」や「雨情話」といった曲もヒットしました。
俳優業に転身
1973年のバンド解散後、CMモデルを経て俳優に転向した荒木しげるさん。
当初は本名で活動していましたが、1975年に『仮面ライダーストロンガー』で主人公・城茂役を演じたことをきっかけに「荒木茂」に改名しました。
この役は特撮ヒーロー主演俳優として人気を博し、後に行われた昭和の特撮ヒーロー主演俳優人気ランキングでは10位にランクインしています。
その後、1976年の『超神ビビューン』で主人公・月村圭も見事に演じられました。
『特捜最前線』『暴れん坊将軍』などの人気ドラマでも、長期にわたってレギュラー出演し活躍します。
また『徳川家康』『ウルトラマンティガ』『デスカッパ』など数々の映画やドラマ、時代劇にも出演しました。
荒木しげるさんは、特撮ヒーローから刑事ドラマ、時代劇まで幅広いジャンルで活躍し、味のある演技で昭和の二枚目俳優として多くのファンに愛された俳優だったのです。
荒木しげるが仮面ライダーストロンガーで演じた城茂
城茂(じょう しげる)は、荒木しげるさんが『仮面ライダーストロンガー』(1975年)で演じた主人公です。
城茂の役柄
彼は悪の組織「ブラックサタン」によって改造人間にされ、仮面ライダーストロンガーへと変身します。
性格は「考えるよりまず行動」の無鉄砲なタイプで、困難にも決して諦めず立ち向かう強い意志を持っています。
自信家で尊大な物言いもしますが、根は優しく正義感が非常に強く、困っている人を決して見捨てません。
劇中では「だぜ」口調や豪快な笑顔、口笛を吹きながら登場するなど、アウトローで破天荒な一面も特徴です。
物語の重要人物
城茂という主人公は、物語で、ブラックサタンやその後現れた「デルザー軍団」と戦います。
仲間の協力も得て悪の首魁・岩石大首領を打ち破っていくのです。
途中、仲間ユリ子を失う悲しみも経験しますが、さらなる改造で「チャージアップ」形態となり、強敵に立ち向かいました。
城茂は「頼れる兄貴分」として、昭和ライダーの中でも異彩を放つ存在でした。
荒木しげるが出演した特捜最前線での役柄について
荒木しげるさんは『特捜最前線』で津上明(つがみ あきら)刑事を演じました。
津上刑事は警察学校を卒業したばかりの若手エリートで、第1話から登場し、当初は甘さや未熟さも見せる新米刑事でしたが、物語を通じて成長していきます。
津上明の役柄
彼の役柄はエネルギッシュで一本気な性格が特徴で、正義感が強く、事件解決に情熱を注ぐ姿が描かれています。
津上刑事は「特命捜査課」の一員として、先輩刑事たちと協力しながらさまざまな事件に立ち向かい、若手刑事ならではの視点や行動力で物語に新鮮さをもたらしました。
また、第90話「ジングルベルと銃声の街!」など、津上刑事が主役となるエピソードもあり、成長物語や人間味あふれる描写が視聴者に親しまれました。
荒木しげるが見せた印象的なエピソード
荒木しげるさんが津上刑事として見せた印象的なエピソードには、第13話「愛・弾丸・哀」と第90話「ジングルベルと銃声の街!」が挙げられます。
第13話「愛・弾丸・哀」では、津上刑事が新米刑事としての未熟さや葛藤を抱えながらも、妹を人質に取られた事件で苦悩しつつ成長していく姿が描かれます。
犯人を撃つことへの迷いや、家族との絆、先輩刑事とのやり取りが心に残るエピソードです。
第90話「ジングルベルと銃声の街!」
この他にも凄いエピソードがあります。
第90話では、津上刑事が無実を主張する青年のために粘り強く再捜査を行い、真実を明らかにします。
ラストでは荒木しげるさん自身の特技であるドラム演奏を披露し、青年のトランペットと共演するシーンが印象的です。
このように、津上刑事は若さゆえの熱さや人間味、成長を感じさせるエピソードで視聴者の心に残る存在でした。
津上刑事が殉職した回(「殉職I・津上刑事よ永遠に!」「殉職II・帰らざる笑顔!」)は、事件解決よりも殉職そのものや、津上刑事を失った特命課の刑事たちの動揺と喪失感が強く描かれていました。
視聴者の心を動かす
特に印象的だったのは、津上刑事の「言葉」が事件解決の鍵となり、彼の存在が殉職後も仲間たちを導く形で描かれていた点です。
殉職は単なるドラマのクライマックスではなく、物語の「過程」として扱われ、津上刑事の誠実さや正義感が刑事たちの心に深く刻まれていく様子に胸を打たれました。
また、妹が「兄さんを返して!」と泣き叫ぶシーンや、仲間たちが津上刑事の生き様を語り合う場面は、津上刑事の人間味とその死の重さを強く感じさせ、切なくも忘れがたい印象を残しました。
荒木しげるの俳優活動と音楽活動との関係性
荒木しげるさんは、もともとフォークグループ「フォー・セインツ」のドラマーとして音楽活動で芸能界入りしました。
その後CMモデルや俳優へと転身しています。
俳優として特撮やドラマで人気を博した後も、音楽活動を再開しシングルをリリースするなど、両分野を並行して続けていました。
このように、荒木しげるさんの場合、音楽活動が芸能界入りのきっかけとなり、俳優業で得た人気や経験が再び音楽活動へと還元されるなど、両者は互いに影響し合う関係にありました。
俳優と音楽、双方の表現活動が彼のキャリアの中で切り離せない軸となっていました。
荒木しげるの晩年の生活や家族構成について
荒木しげるさんは、2012年4月14日、63歳で肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。
荒木しげるの晩年は、闘病生活を送りながらも家族との時間を大切にしされていたみたいです。
妻は元女優の樋口のり子で、前妻との間に娘(女優の三枝りな)がいます。
2012年4月、娘の大学入学式の日に入院し、その12日後に肺炎のため東京都内の病院で亡くなられたそうです。
また、一度離婚を経験しており、飲食店を開業するなど俳優業以外にも活動していた時期がありました。
晩年は家族や仲間に支えられ、多くのファンや関係者に見送られました。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
荒木しげるさんが素晴らしい俳優さんだったことを、代表作を通して明らかにできました。
音楽活動でも、多くの人の心を動かしたことでしょう。
彼の素晴らしい功績は、これからの俳優、音楽関係者に深く響いていくと思います。
心からご冥福お祈りいたします。
最後までご覧下さり、ありがとうございました!!