二谷英明さんは1956年、日活第3期ニューフェースとして俳優デビューし、昭和30年代を中心に日活アクション映画で活躍された人です。
石原裕次郎や小林旭らと並び、日活アクション全盛期を支えた存在で、「ダンプガイ」の愛称でも親しまれました。
今回はそんな二谷英明さんについて、これまでの活躍を紹介していきます。
二谷英明 代表作
二谷英明さんの代表作には『影なき声』(1958年)、『生きていた野良犬』(1961年)などがあります。
タフで知的な役柄や、馴染みやすいナレーションの声も高く評価されました。
知的でダンディなイメージ
二谷英明さんは、アナウンサー出身です。
そのため声が良く、映画の予告編ナレーションも多く担当されています。
紳士的でクールなイメージが強く、共演者からも「ダンディ」と評されていました。
昭和後期の転機とテレビ進出
1971年に日活を退社しフリーに転向した二谷英明さん。
その後は映画・テレビと幅広いジャンルを通して活躍されました。
昭和の終わりには、テレビドラマ『特捜最前線』(1977年~)の主演を務め、神代警視正役で国民的人気を獲得。
昭和を代表するアクションスターであり、知的で頼もしい俳優として多くの作品で存在感を示しました。
昭和時代の代表作とその魅力
二谷英明さんの主な代表作を紹介します。
『赤いハンカチ』(1964年)
石原裕次郎の恋のライバル役として、ダンディで知的な大人の色気を発揮した二谷英明さん。
都会的で洗練された存在感が際立ち、ファッションや立ち居振る舞いも高く評価されました。
『生きていた野良犬』(1961年)
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タフで硬派なヒーロー像を体現した作品。
復讐に燃える元ヤクザ役で出演。
アメリカのハードボイルドを思わせる男臭さと、裏切りや葛藤の中で見せる人間味が魅力となった作品です。
『影なき声』(1958年)
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新聞記者役で、事件の真相を追う知的で頼もしい姿が印象的だった本作。
誠実さと冷静さを兼ね備えたキャラクターが光りました。
その他にも『日本沈没』(1973年)、『華麗なる一族』(1974年)、テレビドラマ『特捜最前線』(1977年~)などが挙げられます。
昭和時代の二谷英明の魅力 エピソード・逸話
昭和の二谷英明さんは、クールで知的、かつダンディな魅力を持つ俳優として知られています。
アクションや社会派ドラマで、独自の存在感を放ちました。
役柄ごとに異なる男らしさや誠実さ、洗練された雰囲気が、多くの観客を惹きつけたのです。
アクションスターとしての存在感
日活入社直後から「ダンプガイ」の愛称で親しまれ、アクション映画の主演を次々と務めました。
石原裕次郎さんや小林旭さんの相棒や敵役として、クールで頼もしい存在感を発揮し、昭和の銀幕を支えた模様です。
イイ声”の持ち主として予告編ナレーションも担当
先程も記載させていただいた通り、元々アナウンサー出身である二谷英明さん。
昭和30年代の日活映画の予告編ナレーションをノンクレジットで、多数担当されました。
石原裕次郎主演『嵐を呼ぶ男』の冒頭ナレーションなど、その“イイ声”が映画ファンの間で語り草になっています。
共演者や監督からも「紳士」「ダンディ」と評された人柄
監督の舛田利雄さんや共演者の宍戸錠さん、芦川いづみさんらから「紳士的」「ダンディ」と称されて二谷英明さん。
自ら主演を遠慮する謙虚さもありつつ、周囲に押されて主演を務めることもあったそうです。
『特捜最前線』ロケ中の大ケガと復帰
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『特捜最前線』の北海道ロケ中にスキーで首を骨折する重傷を負った二谷英明さん。
4か月の治療で現場復帰しました。
全509回の長寿ドラマを完走し、プロ意識の高さと責任感の強さを印象づけます。
日産セドリックCMキャラクターとしての顔
1972年から15年間、日産セドリックのCMキャラクターを務めた二谷英明さん。
『特捜最前線』の劇用車としてもタイアップされました。
テレビとCMの双方で「ダンディで知的な大人」のイメージを全国に浸透させたものとなります。
これらの逸話からわかる通り、二谷英明さんは昭和を代表する「クールで知的、頼もしい大人」の象徴的存在だったのです。
では、ダンディズムと知的なイメージはどのように形成されたのでしょうか?
それは、アナウンサー出身の美声と知的な語り口、落ち着いた声と端正な話し方が「知的な大人」の印象を強めたからでしょう。
洗練されたファッションと立ち居振る舞い
日活アクション映画でのスーツ姿や端正な身だしなみが好評な二谷英明さん。
都会的な立ち居振る舞いが「ダンディ」なイメージを定着させました。
ダンディズムは単なる外見だけでなく、内面の知性や品格も重要視される文化的背景があり、二谷英明さんもその精神を体現しています。
役柄を通じた知的で誠実な人物像
新聞記者や警察幹部など、知性と誠実さが求められる役柄を多く演じた二谷英明さん。
「クールで知的な大人像」が、観客に強く印象づけられました。
これらが組み合わさり、昭和の映画界における二谷英明さん独自のダンディズムと知的イメージが築かれた模様です。
二谷英明 ダンディさと知性を象徴する代表的な人物
二谷英明さんは、先ほどから何度も記載させていただいている通り知性を持つダンディな人です。
彼の俳優としてのキャリアと私生活について、紹介しましょう。
俳優としてのキャリア
1956年、日活第3期ニューフェースとして映画界入り。
昭和30〜40年代に日活アクション映画のスターとして活躍し、石原裕次郎さんや小林旭さんと並ぶ存在となりました。
代表作は『赤いハンカチ』『生きていた野良犬』『影なき声』など。
知的でダンディな役柄を多く演じ、昭和の映画界に新しい大人の男性像を定着させました。
1970年代以降はテレビドラマにも進出し、『特捜最前線』(1977年~)の神代警視正役で国民的な人気を獲得。
CMやナレーションでも活躍されました。
私生活
1966年、女優の白川由美さんと結婚。
芸能界きってのおしどり夫婦として知られ、娘は女優の二谷友里恵さんです。
公私ともに誠実で紳士的な人柄が、周囲からも評価されていました。
晩年まで俳優活動を続け、家族との絆を大切にしながら静かな私生活を送っている模様です。
まとめ
このように、二谷英明さんは昭和の映画界・テレビ界を代表する知性と品格を備えた俳優だったことが分かりました。
家庭でも温かい家族に恵まれ、公私共に充実した毎日を送っていた模様です。
数多くの名作を残してくれた二谷英明さんは、2012年1月7日に永眠いたしました。
心からご冥福お祈りいたします。
最後までご覧くださり、ありがとうございました!