大坂志郎さん(おおさか しろう、1920年2月14日~1989年3月3日)は、秋田県能代市出身の昭和を代表する名脇役俳優です。
戦後のテレビホームドラマでは「優しいお父さん」役でお茶の間に親しまれました。
昭和を代表する名俳優だった大坂志郎さんについて、今回は調べていきたいと思います。
大坂志郎 主な経歴
大坂志郎さんの主な経歴と人物像についてご紹介します。
主な経歴 人物像
大坂志郎さんは、戦前に新築地劇団研究生になりました。
その後日本で戦争が起こってしまったため芸能活動は控えます。
戦後は松竹に復帰。
映画『はたちの青春』(1946年)で日本映画史上初のキスシーンを演じて話題になりました。
小津安二郎監督『東京物語』(1953年)では末弟・敬三役を好演します。
アクション映画に挑戦
1955年に日活へ移籍しました。
その後、アクション映画の台頭で脇役に転じます。
オールラウンドなバイプレーヤーとして活躍され続けました。
また、テレビドラマでも活動の幅を広げます。
『七人の孫』『大岡越前』『パパと呼ばないで』『雑居時代』などにも多数出演。
温和で優しい父親像を数多く演じ、1970~80年代のホームドラマには欠かせない存在となりました。
特に『大岡越前』では与力・村上源次郎役として、主人公を支える忠実な部下を好演。
これは視聴者にとても好評だった模様です。
大坂志郎の代表作
大坂志郎さんの代表作は以下の通りです。
映画作品
映画『はたちの青春』(1946年)、これは日本映画史上初のキスシーンで話題となった作品です。
また、『東京物語』(1953年)にも出演しています。
これは小津安二郎監督の名作、主人公の三男・敬三を演じました。
テレビドラマ
テレビドラマ『七人の孫』では、加藤治子との名夫婦役で人気を施します。
さらに『大岡越前』シリーズに出演し、忠相の信頼する与力・村上源次郎役として長年レギュラーを務めました。
テレビドラマ『パパと呼ばないで』や『雑居時代』、『おひかえあそばせ』にも出演しれています。
こちらは、石立鉄男主演のホームドラマであり、優しい父親役で親しまれました。
これらの作品で、温かみのある優しい人物像を数多く演じ、昭和の名優として広く知られています。
大坂志郎の若い頃のキャラクターとは!?
大坂志郎さんは、若い頃のキャラクターが人気だったみたいです。
主演や主要な役柄を多く務め、特に爽やかな青年役やコメディタッチの役が目立ちました。
日本映画初キスシーン!!
出典:https://unajaponesaenjapon.com
先程から記載させていただいていますが、大坂志郎さんと言えば、日本映画初キスシーンを演じた男!
戦後すぐの映画『はたちの青春』(1946年)で、日本映画史上初のキスシーンで話題となり、当時の新しい時代感覚を象徴する存在となりました。
また、清水金一さんや柳家金語楼さんらと共演した喜劇作品にも数多く出演しています。
幅広いジャンルの役をこなす
1950年代半ばまでは主演級で迎えられており、幅広いジャンルで活躍したオールラウンドな若手俳優となります。
親しみやすい青年像なども演じられ、コミカルな役柄も得意としていました。
様々な役を見事に演じ切り、カメレオン俳優として視聴者に人気となっていったのです。
石立鉄男主演のユニオン映画 大坂志郎の父親像とは?
ユニオン映画制作のドラマで、レギュラーだった大坂志郎さん。
彼の父親像は、「おっとりとして温かく、包容力のある優しいお父さん」として描かれていました。
よって、石立鉄男主演の『パパと呼ばないで』『おひかえあそばせ』『雑居時代』などでは父親役を演じます。
家族や子どもたちを温かく見守り、時にユーモアも交えながら家庭を支える存在として、お茶の間に親しまれました。
厳しさよりも優しさと寛容さを前面に出した父親像は、昭和のホームドラマにおける理想的な「優しいお父さん」の代表格といえます。
長年「大岡越前」で越前の第一家臣を演じた大坂志郎
大坂志郎さんは、長年「大岡越前」に出演され続けました。
その役柄は、南町奉行・大岡忠相(加藤剛)の第一の家臣である与力・村上源次郎です。
現場を引っ張るような存在
出典:https://cdn-ak.f.st-hatena.com
村上源次郎は、忠相の片腕として捜査や事件解決を支え、誠実で頼りがいのある部下として描かれています。
大坂志郎さんは、現場でも忠相を演じる加藤剛さんを補佐し、冷静で温厚な人柄で班をまとめる存在でした。
彼が「大岡越前」で演じた村上源次郎は、南町奉行所の与力で、主人公・大岡忠相から最も信頼される“生き字引”のような存在となります。
必要不可欠な役をこなす
通称「仏の源さん」と呼ばれた役となった村上源次郎。
人情味があり温厚で、部下や町人にも親しまれる性格です。
役割としては、忠相の右腕として事件捜査や奉行所の運営を支え、冷静かつ誠実に忠相を補佐します。
将棋好きで、時には同僚と将棋を指しながら親しく交流する一面もあり、奉行所内のムードメーカー的存在でもありました。
現場で必要不可欠な存在となる役をこなした大阪志郎さんです。
大坂志郎 晩年とエピソード
大坂志郎さんは1989年、食道がんのため69歳で亡くなりました。
しかし体調が悪くなり、入院生活を余儀なくされる最後の瞬間まで役者として仕事をされています。
凄い役者魂ですよね!
また、大坂志郎さんは私生活をあまり公表していません。
家族についての詳細も多く語られていないため、天涯孤独だったのかは不明。
よって、プライベートが謎に包まれた俳優さんだったのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
大坂志郎さんについて名俳優としての軌跡を軽く紹介させていただきました。
晩年は、病気と闘いながらも俳優活動を続け、1989年3月3日に死去。
69歳という若さでこの世をさりました。
亡くなる直前まで現役で活躍し、まさに昭和から平成への時代の節目にその生涯を閉じた名俳優。
心からご冥福をお祈り申し上げます。
最後までご覧下さり、ありがとうございました!!