津山登志子さん(つやま としこ、1954年1月25日生まれ)は、昭和の名子役から幅広く活躍した日本の女優です。
本名は鈴木登志子さん(すずき としこ)。
東京都出身で、16歳で劇団若草に在籍しました。
ドラマ『泣かないで!かあちゃん』(1970年)でデビューし、昭和50年代には「トランジスタ女優」と呼ばれ、町娘や女房役、サスペンスの未亡人役など多彩な役柄を演じていらっしゃいます。
今回は、数々のドラマ作品に引っ張りだこだった、津山登志子さんについてご紹介していきたいと思います。
津山登志子 代表作や経歴
出典:https://post.tv-asahi.co.jp
津山登志子さんの代表作には『パパと呼ばないで』『刑事くん』『大岡越前』などのテレビドラマがあります。
また、映画『十九歳の地図』『ドラッグストア・ガール』などにも出演されていました。
身長が153cmと小柄で、親しみやすいキャラクターが持ち味です。
私生活では結婚・出産を機に一時女優活動を休止し主婦業に専念。
その後復帰し、1999年と2001年には40代でヘアヌード写真集を発表し話題になりました。
晩年は持病の悪化で療養生活となり、2023年3月12日、娘のいるマレーシア・クアラルンプールで心臓発作により亡くなりました。
享年69歳です。
また、娘はシンガーソングライターの鈴木みらいさん(芸名)で、津山登志子さんも音楽活動を応援していました。
津山登志子の代表作とその役柄の特徴
津山登志子さんの代表作、そしてその役柄の特徴をご紹介します。
代表作には以下のような作品があります。
『泣かないで!かあちゃん』
津山登志子さんのデビュー作であり、家庭ドラマで等身大の少女役を演じました。
素朴で親しみやすいキャラクターが注目されていた模様です。
刑事くん
『刑事くん』と言う作品では、主人公の妹である立花美和子役を演じます。
明るくしっかり者の妹として、家族思いな一面を見せていました。
また、ホームドラマで生活感のある若い女性役を演じられた『気になる嫁さん』も代表作の1つです。
必殺仕事人
『必殺仕事人』では、泥棒の元締めの娘役を熱演。
父親を夫に殺され、自らも悲劇的な運命をたどる陰のある役柄で、感情の起伏を繊細に表現しました。
この役では、父親を自分の夫に殺され、自らも夫に刺されてしまうという悲劇的な運命を背負った女性を演じます。
彼女は最期に主人公である中村主水に「夫を殺してくれ」と頼むのです。
この作話の命を落とすという強烈なエピソードが、視聴者の記憶に残っています。
津山登志子さんの繊細な感情表現と存在感が際立ち、彼女の女優人生の中でも特に印象深いものとなっている模様です。
アクション作品
他にも『おんな組アクション控』という時代劇で主演を務めます。
芯の強い女性像を演じ、アクションにも挑戦されました。
また、『十九歳の地図』という青春映画では、主人公と関わる女性役を。
『ドラッグストア・ガール』という映画作品では、町の人々と交流する「嫁」役で、温かみのある存在感を発揮しました。
津山登志子の役柄の特徴
津山登志子さんは、昭和50年代には「トランジスタ女優」と呼ばれ、町娘や気風のいい女房、サスペンスでは陰のある未亡人など幅広い役柄を演じたのが特徴です。
明るく元気な女性から、複雑な内面を持つ役まで、親しみやすさと芯の強さを併せ持つ演技が評価されました。
石立鉄男出演のユニオン映画での津山登志子の活躍
津山登志子さんは、ユニオン映画制作のホームコメディドラマでレギュラーキャストとして活躍しました。
代表的な役柄は以下の通りです。
『おひかえあそばせ』
1971年に放送された『おひかえあそばせ』。
石立鉄男さん主演のシリーズ第1弾で、家族や友人との日常を描く中で、明るく親しみやすい若い女性役として登場しました。
また、『気まぐれ天使』(1976年)で、女性下着メーカー「プリンセス社」の宣伝部社員・朝子役を熱演。
職場の仲間たちと共に、等身大の悩みや成長を描くキャラクターで、爽やかさと芯の強さを持ち合わせていました。
これらのドラマでは、家庭的で温かみのある性格や、職場での明るいムードメーカー的存在として、視聴者に親しまれます。
ユニオン映画作品
ユニオン映画作品での津山登志子さんの演技スタイルや魅力は、自然体で親しみやすい存在感と、等身大の少女らしさにあります。
たとえば『おひかえあそばせ』では、中学生の末っ子・つぼみ役を好演し、ちょっぴり泣き虫で少女趣味な一面や、家族の温かさに触れて成長していく様子を素直に表現しています。
彼女の演技は、日常の小さな出来事や家族の衝突をリアルに、時にコミカルに描き出し、視聴者に共感と温かさを届ける点が魅力です。
昭和ドラマの中でも、飾らない素朴さとチャーミングさが際立っていました。
津山登志子の演技から伝わる昭和当時の女性像
出典:https://post.tv-asahi.co.jp
津山登志子さんの演技から伝わる昭和当時の女性像は、家庭的で素朴、親しみやすい一方で、時に芯の強さや自立心も垣間見える等身大の女性です。
彼女が多く演じたホームドラマやコメディの役柄は、「家族の中で支え合いながらも、自分の意見や感情を大切にする」女性像を体現していました。
この背景には、昭和の日本社会に根強く存在した「女性は家庭の中心」という価値観や、性別による役割分担が色濃く反映されています。
しかし、津山登志子さんの演技には、そうした枠組みの中でも自分らしさや小さな反抗、成長を描くリアリティがあり、視聴者は共感や励ましを感じていました。
現代の視点から見ると、当時のドラマは女性の生きづらさや社会的偏見を直接描くことは少なかったものの、「型にはまった女性像」の中に、静かに多様な感情や希望をにじませていたことが、津山登志子さんの演技の魅力の1つと言えるでしょう。
津山登志子 演歌歌手の角川博と離婚していた
津山登志子さんの私生活や結婚・離婚について、主なポイントを紹介します。
1980年、演歌歌手の角川博と結婚し、芸能活動を一時休止して主婦業に専念しました。
結婚生活は16年続き、1996年に離婚。
娘(鈴木みらい)が一人います。
離婚理由
2人の離婚理由は次のように考えられます。
それはDVです。
津山登志子さん本人が「角川博による暴力(DV)」を主張していますが、角川博側さんは詳細を語っていません。
よって、DVが本当にあったかどうかは分かりません。
また、津山登志子さんの芸能活動再開によるすれ違いも一因とみられています。
離婚後、津山登志子さんは再婚していません。
晩年は1人暮らしで、娘も独立し海外で家庭を持っています。
離婚後の生活
津山登志子さんは離婚後、女優業に復帰し、40代でヘアヌード写真集を発表するなど話題を集めました。
娘との関係は複雑で、母子断絶状態や娘の夫を提訴したことも報じられています。
晩年は精神的な不調や入院も経験し、最期は娘のいるマレーシアで亡くなりました。
津山登志子さんの私生活は、波乱や話題に満ちたものだったということですね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
津山登志子さんの輝かしい功績、代表作を通して紹介させていただきました。
69歳という若さでこの世を去られたこと、心からお悔やみ申し上げます。
また津山登志子さんのプライベートは晩年に近づくにつれ、本当に波瀾万丈に満ちていたことも分かりました。
子役から大人になったぐらいが一番の絶頂期だったのでしょうね。
彼女が残した作品は、いつまでも私たちの心の中で生き続けることでしょう。
最後までご覧下さり、ありがとうございました!!