美人医者として有名な居原田麗さん。
amebloのブロガーなら、知らない人はいないというほど有名人です。
ドクター部門1位なんですが、2024年1月に亡くなられた後も殿堂入りしているほの凄いアクセスの多さなのです。
居原田麗さん、どんな人だったのか、どのような病気で亡くなられ、どんなことを発信されていたのか、調べていきましょう。
居原田麗とは
生年月日 1981年6月11日(2024年1月10日逝去42歳)
出生地 滋賀県草津市
血液型 B型
身長 171cm
体重 53kg
2006年滋賀医科大学卒業
高身長で、体重が、たったこれだけ!
150cm代後半でも、この体重なら着られる服が多くて、スレンダー扱いですね。
モデル体型です。
女芸人で、この体型でもお顔がアレなのは有りますが、お綺麗ですね。
同じ国公立でも難易度の高い京阪神の国公立医学部を現役で。凄いです。
国公立医学部卒の才色兼備
2006年滋賀医科大学医学部を卒業した後は、医仁会武田総合病院で研修を終えました。
しばらく恵聖会クリニックに勤めた後、11年麗ビューティー皮フ科クリニックを開院。
形成の女医さん:女性形成外科医は関係者はこう言われています。
『形成外科の医局で研修したんじゃ無くって、大手美容外科で技術習得したのね』
ですから、形成外科の専門医を取って、美容外科もやるのではなくて、元から美容外科医です。
1分1秒を惜む位に、貪欲なまでに人生を謳歌されていたのですね。
美容外科医としてのキャリアも、結婚出産などの私生活に於いても、理想的な目標或いは予定を立てて見事クリアし、モデル体型の美人に生まれて国公立医学部卒業。
順風満帆な人生とは、この女医さんの為にある言葉かもしれませんね。
居原田麗の子供は4人 夫婦関係も良好
居原田麗の子供は、3男1女です。
長男2009年生まれ14歳中2。
次男2012年生まれ11歳小5。
三男2015年生まれ8歳小2。
長女2018年生まれ5歳幼稚園年長。
長男の学校は2022年4月入学の全寮制の中高一貫校でバスケットボール部所属。
居原田麗は闘病中でしたが、ブログを見ると受験勉強を応援。入学後は送り迎えも、帰省時、していました。
余命1年を宣告されても「まだまだ小さい4人の子供たちを残しては死ねないから、どんな辛い治療でも頑張る覚悟です」と有り、アグレッシブに治療に向き合っていました。
まさに母親は強し。
長男の方も母親の余命が分かると、地元の高校へ戻ってきました。
子供思い、母親思いの素敵な家庭です。
「中2、次男が小5で、どちらも受験を控えた学年になってきて、私もしっかりせねばなりません。
なんなら娘の小学校受験も合わせてやってくるので、来年の秋に親子面接、、元気でいられるだろうか、、、」
と、居原田麗さんは、ブログに記載します。
居原田麗さんのamebaブログはこちらから→https://ameblo.jp/drre-re/
居原田麗の癌について
セレブな美容外科医ブログから一転。
居原田麗さんは、癌におかされ、ブログの内容が闘病記へと変化していきました。
子宮摘出
2019年9月頃から、不正性器出血が見られたのだそうです。
正確な月経周期以外での出血で、居原田麗さんは、この危険なサインを見逃しませんでした。
子供2人を産んだ所の産婦人科医は産科がメインなんで、初めて婦人科が主体のクリニックを受診します。
そこでの診断は加齢症状様の、びらんが見られ癌には非ず。
心配無用、と診断されましたが、これが誤診だったわけです。
最悪の事態と成りました。なお自身のクリニックの健康診断の腫瘍マーカー、定期的なんですが、2011月地点で異常無しだった腫瘍マーカー、しかし不正出血は止まらず、発熱や腹痛と事態はどんどん悪化していきます。
居原田麗さんの母校でもある、滋賀医大附属病院に紹介状を書いてもらい、そこでがん細胞を調べてもらい告知される形となりました。
検査はハワイに行った後だった
MRI及び造影CT検査は混み合っていて、仕事でハワイへ行った帰国後、やっと予約でした。
ここら辺は、日本の大学病院のマンパワー不足の闇を感じます。
まわりは居原田麗さんの体調を心配しましたが、予定通りハワイ行きを実行。
帰国後滋賀医大で、相当に深刻な診断結果が下りました。
子宮頸癌は、その部位に多い扁平上皮癌(粘膜の上辺に出来て取り易い)ではなくって、より悪性で稀な小細胞癌(子宮壁内部に出来る細かい癌細胞で転移し易い/取り難い)でした。
小細胞癌は早期でも転移及び再発が見られ、5年生存率は何と50%以下!!
子宮のみならず、卵巣や卵管、リンパ節まですべて摘出でした。
ブログでも、癌を公表して前向きに癌と闘おうと決心します。
4人の子を産み終えたのは救いで、子宮や卵巣を失う後悔は有りませんでした。
肝臓への転移、抗がん剤治療、免疫治療の開始
2021年8月に肝転移で、手術しました。
リンパ節転移も有って、2023年5月には骨転移が3ヶ所。
抗がん剤治療を開始しますが、副作用があまりにも強く、免疫療法へと移行します。
非保険の高い免疫療法を2つ併用しました。
田中善医師の免疫細胞療法及びワクチン療法等の免疫療法。
蓮見賢一郎医師の免疫細胞療法:免疫細胞たる樹状細胞を培養して体へ、しかし効きが悪く、放射線治療も併用しました。
放射線に依る吐き気等に苦しんだ様子がブログに書かれています。
免疫療法も効かず 最後は感染症で
癌自体の痛みも出てきて、ペインクリニックで痛みのコントロールを始めます。
しかし、これも効きが悪く、更に痛みを取る治療から感染症を併発しDICに陥ります。
DIC?汎発性(はんぱつせい)血管内凝固症候群
居原田麗さんの場合は痛みを取る治療の一環のペインクリニックの手術が原因で、血管内に無数の血栓が散らばり、凝固反応が無駄に亢進した病的状態でした。
最悪は、脳梗塞?心筋梗塞?など、血栓で血管が詰まって死に至ります。
この DIC、癌及び細菌感染症と言った基礎疾患有りの患者が、全体の3/4を占めるのだそうです。
居原田麗さんは、結果的にこのDICで亡くなりました。
癌は負のエネルギーの性 癌は切ったり、抗癌剤や放射線治療で暴れ出す!!
癌、実は負のエネルギーの性です。
周囲を見ると、恨まれている人や、自らが嫌な人で負のエネルギーに自家中毒?!なケースを見ます。
ポジティブさが癌を叩いてくれるんですね。
まとめ
何とも痛ましい、4人の子供を遺しての美人女医の癌死。
多くの人の涙を誘うと同時に、忠告や批判、今後の癌治療の在り方について、一隻を投じていますね。
誤診などで人生が最悪に変化してしまう状況があること、日本はもっと医療について深く重きを置かないといけないとことがたくさんあること。
家族ともっと過ごす時間や自分の人生のあり方などを考えさせてれた居原田麗さん。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。